技術者の苦しみ

このページで書くべきか悩んでいたのですが、WIDEプロジェクト特にKAMEプロジェクトなどで活躍された萩野純一郎さんが2007年10月29日に亡くなったという情報を知りました。いまだに信じられないのですが、WIDEプロジェクトからも正式に情報が流れていますし、情報の内容も正しいと思われます。

萩野さんとは自社の技術顧問となっていただく契約を進めていて、ほぼ手続きも終わるところまでいっていて、29日も15時過ぎにメールの返事をいただいていました。WIDEプロジェクト参加のきっかけを作っていただいたり、メンバーにIPv6やOpenBSDのセキュリティに関する講義をしていただいたり、契約以前から大変お世話になっていましたし、個人的にもさまざまな趣味やオタク話で盛り上がり、映画にあまり興味の無かった私にマトリックスを見るように勧めていただいて、すっかりはまってしまうなど、5月に知り合ってから短い間でしたが大きな影響を与えていただきました。

知り合ったきっかけは著書「プログラミングでメシが食えるか!?」で、ご購読いただいた萩野さんから2007年5月11日14時26分にメールをいただきました。差しさわりのない範囲で紹介すると、

最近弊社のプログラマの取扱に大変に不満を抱いておりまして(まあ私の過剰反応かもしれませんが)、 小俣さまの著書の「27倍差がある」説に「そうだよ、僕が言いたかったのはこれなんだよ」と涙を流しながら思っていた次第です。
不満があまりにひどいので、個人事業者 or 零細企業として独立しようかとまで思っている次第です。
もしもお時間ありましたら一度意見交換などさせていただければ大変光栄に思います。会社社長としてどうやって意思を貫いて仕事をなさっているのか
是非伺いたいと思いますし、逆に小俣さまの著書の例題プログラムがIPv6 readyではないので(笑)そのへんについてちょっとヒントなどを差し上げられたらと勝手に思っております。

このような内容でした。すぐにお会いし、結局他のオタク話の方が盛り上がって長かったのですが、ビジネスに関する率直なアドバイスを差し上げ、お会いした夜にも追加でやりとりしました。ビジネスといっても私が経験してきた小さい規模のお話程度ですので、本当に参考程度のレベルしかできませんでしたが。

その後、著書のお礼ということで、会社に来てくださり、メンバーに対してIPv6講義を開催してくださいました。メンバーのこともとても気に入ってくださり、継続的に講義をしましょうか、ということで、その後さらに社外まで輪を広げて、萩野さんの講義やオタク話、さらにお食事会など楽しいお付き合いが深まりました。

私がこれまで作ってきたプロキシによるファイアーウォールや高性能DHCPサーバなども、最初はそういうのは自作するのではなくオープンソースのものを使った方が確実だと指摘されていたのですが、その後内容やレベルを知っていただいたことが理由か、私のこだわりに呆れたのかはわかりませんが、いろいろな方に紹介していただけるようになり、特にDHCPサーバはISCに知り合いがいるから、ソースを出して世界のために貢献してみては?とまで言ってくれていました。

また、若手の今後を考え、WIDEプロジェクトに加盟してみてはどうか、と紹介してくださり、秋の合宿に二人メンバーを参加させていただき、先日正式に契約を結びました。

萩野さんは自身で起業するよりまずは多くの会社の技術顧問やサポートで収入を得る感じでやってみると話されていました。私の会社にもっとも余裕や力があれば違う感じでサポートもできたのではと悔やんでいるのですが、萩野さんは技術でがんばっている小さい会社からぼったくるようでは駄目だ、他人が作ったもので上手いこと儲けているところからお金は出させなければ、と考えておられ、さらに自分はIETFなどやらねばならないことも多いので、一社に縛られるのは無理だ、ということで、萩野さんからのお願いで、年金・保険はお世話になりたいということで当社の顧問という形でそうしましょう、とお話を進めていたところでした。

日本では技術者として、とくにフリーソフトなど開発したもの自体で収入に結びつかないような活動をしたい人にとって、非常に厳しい国だと感じています。彼らが世界を便利にするためにと必死に作ったものを利用して、上手く儲けている会社がたくさんあるにもかかわらず、技術者の支援はあまり興味がないようですし、企業に所属する技術者は、生み出された技術は特許で利益を守るようになっていて、仮に技術者が公的に役立つからと情報を公開しようとしてもできない仕組みになっています。国もIT推進だとかなんだかんだ言いながら、本当に世界のために役立つものを作り出している技術者を支援することすらしてないのです。確かに資本主義社会では資本家に利益を生むことが一番なのでしょうけれど、社会を支えている技術を生み出している技術者たちに対してこんなに冷たくてよいのでしょうか。

私は幸いにも好きな開発の仕事ができていますし、小さい会社ゆえに技術を著書などで公開することも咎められず、また、小さい会社だからこそメンバーたちが望まない形態の仕事を選ばず、利益ももちろんですが「やりがい」も大切にして仕事ができています。経営的には決して楽ではありませんが、メンバーたちと技術の話をし、将来の夢を語り合い、どうせやるなら誇れるものを、という感じで仕事ができています。そういうやり方が、あるいはそういう中で活き活きとしているメンバーたちが萩野さんにとって興味深かったのだと思います。なかなか世間から相手にされない我々にさまざまな良い刺激を与えてくださった萩野さんには感謝の気持ちが言葉にできないくらいです。

現時点で詳しい情報はまだ分かっていないのですが、メンバーと共に萩野さんの意思を少しでも受け継ぎ、さらにプログラマーが楽しい仕事だということを広げていくのが私のできることではないかと信じ、これから技術者として社会に出てくる若者が活き活きと開発を楽しめるような社会を目指して情報の発信もしていかねばと考えています。

マニアックで白黒はっきりしていて、でも実は親切でやさしくて気配りの人であった萩野さん、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

2007.11.1

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from 2007/1/13