就職について

 またアマゾンのカスタマーレビューに書き込みをいただき、厳しい内容でしたがご指摘をいただけるのはありがたいものです。大体今までの指摘の内容としては、前半の技術スキルに関しては、内容がC言語に偏っており、WEBやDB系の技術者には役立たない、という点で、後半の仕事のスキルに関しては得意分野にこだわれという点の賛否が分かれるところかと考えています。私の文章能力が足りない点が問題なのだとは思うのですが、すべての技術者に役立つような内容にしようと思うとどうしてもありきたりのことしか書けなくなってしまいます。かといってこれだけ数多くある開発技術や言語を網羅するような例をそれぞれ用意すればページがいくらあっても足りません。そこで私としては自分の得意な分野を中心に書くのが一番説得力があるだろうと言うことでC言語を例に使いましたし、開発手法に関してもどの分野でも必要な、ゼロからプログラムを作る方法を説明し、その他品質や性能に影響するような部分を説明しました。

 実際の開発現場では確かに圧倒的にJavaや.NETでのWEB開発が多いということはわかっていますし、私の会社でもそのような仕事がたくさん来ています。そのような開発ではゼロからプログラムを作る力はたいていの場合使いません。フレームワークから呼び出される処理を作れば良いという仕事が多いのです。しかしそのような開発でも性能の考慮は必要ですし、いざというときにゼロからプログラムを作ることができるかどうかは、たとえばテスト用のシミュレーターを簡易的に作る場合などにどの言語でも必要なのではないかと思います。実際ゼロから作れない方が多いので私は心配なのです。

 得意分野にこだわるべきかどうか、というようなテーマは当然個人によって考え方が違うと思います。が、そうであれば誰も何も教えてあげないというのでは、これからプログラミングの仕事をやろうと思っている人が参考にできる情報が出てきません。自分の経験から得意分野にこだわって成功した事を紹介しました。そうでない方法で成功する方法は私は知りませんので書けません。こだわっていた得意分野が役に立たなくなったらどうなるかという問題も確かにありますが、何にもこだわらなかった人よりは次に活かせるものが多いはずです。変化の激しいOSや開発環境にこだわると、追いかけ続けるのが人によっては辛い場合もあります。そういう方は分野にこだわれば良いのではないでしょうか。

 常駐でなぜ儲けにくいかというのはかなり説明を書いたつもりだったのですが、時間を拘束されることによって対価が支払われるシステムではどうしてもあるレベル以上は儲けにくいのです。時間ではなく技術を評価してもらえればよいのですが、それが常駐では難しい、ということです。請負で持ち帰れば時間ではなく成果物を評価してもらいます。腕や効率が高ければどんどん稼げるのです。もちろんこの点に関しても常駐で圧倒的に儲けることに成功している方もいらっしゃるのかもしれませんが、私は知らないので書けないのです。経営者として考えれば派遣ビジネスは元手をかけずに安定した収益が得られる良いビジネスでもあります。製造責任を負わない契約ができますし、安全です。しかし技術者本人が常駐によって深いノウハウを得たり、本人が良い待遇を得るのは難しいのです。いずれにしても私が書いたのはあくまでも私自身が実践し、経験した内容です。その良い点悪い点を読者の方が自分に照らし合わせて役立てていただければよいのです。

 まあ、こういう内容の本なので、厳しい評価や反論は多いだろうと考えていました。良くも悪くもなく、何も感じることがないといわれるよりは、おかしい、変だ、反対だ、と言われる位の方が、問題提起という面で役立っているのだろうと、勝手に良い方向に考えています。ご質問やご意見は直接私宛にぶつけていただければ、ご説明などもさせていただきますし、広く皆様に対して追加で説明したり訂正したりした方が良い内容であれば正誤表に記載したりいたします。

<就職について>

 さて、いつもの事ながら前置きが長くなってしまいましたが、著者がどんな人物か、の3回目として、私自身の就職に関して思うままに書いてみたいと思います。

 高校から勉強で落ちこぼれ、何とか大学に合格したものの、勉強する気は全くないままの私にとって、今考えると最大の転機となったのが、大学1年の夏のアルバイトです。現在の勤務先の社長(現会長)から、大学生なら夏休みはアルバイトする時間があるでしょう?会社に来ない?とお誘いを受け、アルバイトをしました。社長とは私が中学生になるくらいまで近所で、会社を設立されたことは知っていたのですが、実際何をする会社なのかなどは知りませんでした。アルバイトではちょうど会社が引越しをした後ということで、製品カタログの住所変更のシール貼り、を毎日やっていました。郵便局に発送に行ったり、製品組み立てのお手伝いをしたりもしましたが、基本的に事務作業の手伝いです。そんなある日、社長から、コンピューターをやってみない?と言われ、全く興味がなかったのですが、とりあえずやってみることにしました。中学の頃から友人がPC8001などを使っていましたが、遊びに行くとやっているのは必ずゲームで、カセットテープからピーガーと30分以上かけてデータをロードさせて、つまらないゲームができる、というコンピューターに興味はなかったのでした。

 とりあえず教育用の1ボードコンピューターを貸していただき、マシン語で遊んでみたのですが、単にLEDが点滅したりする程度で面白くなかったのを覚えています。次に言われたのが、これからはC言語が流行るらしいから、C言語の本を買って勉強してみて、ということです。当時はK&RのC言語の本だけが日本語のC言語の文献で、それを買ってみたのですが、さっぱりわからず、半年くらい放置しておいたら、社長から電話があり、勉強も進んだことだろうから、C言語のアルバイトを頼みたい、と言うことでした。他の学生アルバイトが開発したCAD用のユーティリティープログラムの変更の仕事でした。本を読んでいても全然わからなかったのですが、ソースを見たりコンパイルして動かしたりしているうちにだんだんわかってきました。もちろんお金もからんでいますし、期日もありましたので、それなりにがんばったのですが。そのソースは、もともとFortranをやっていた方がC言語で作ったようで、1つの関数で1500行を超えるようなスパゲッティプログラムでした。それを関数わけして整理しながら、仕様変更を行い、何とか仕上がりました。その頃にはだいぶC言語やコンピューターのこともわかってきた感じでした。

 その後、大学卒業までアルバイトを続けていました。アルバイトは作業時間を自己申告し、時間単価でアルバイト代をいただいていましたが、正直に申告するとあまりお金にならなかったので、常に水増し請求でした。プログラミングは気合が入ったときに集中してやればかなり進むということがわかっていましたので、時間で計算されたのでは割が合わないと当時から思っていました。

 大学4年になった頃、社長から、うちの会社に来て一緒に仕事をしてもらえないか?と言われ、他に何も考えていなかった私は、喜んで!と握手して就職が決まりました。大学では工業化学を専攻していましたが、当時でもあまり今後発展するような気はしてませんでしたし、研究開発ができるのはごく一部のエリートだけで、多くはラインの管理者などにしかなれないだろうと思っていましたので、それに比べればコンピューターの仕事は若手でも活躍できる魅力的な仕事だと思ったのです。当時はバブル絶頂期で、当然大学にもコンピューター関連の求人は山のようにきていて、学年主任の先生からは、某通信系大手から求人がきているぞ、君なら通ると思うが、と言われましたが、人の言いなりになるのが嫌いでしたし、大手に行くことは考えていませんでした。親はしばらくの間そこに行かなかったことを悔やんでましたが。

 就職後は、社長(現会長)とは知り合いだし、多少は優遇してもらえるだろうと思っていたら、見事にあてがはずれ、何の特別扱いもないどころか、恐ろしい開発スケジュールが待ち受けていて、6月の展示会に私がこれから作るシステムを出展するから、ということで、毎日ほぼ終電。しかも入社後3ヶ月は確か研修期間で残業手当なども無し、ということで、いきなり社会の厳しさを味わいました。プリント基板CADシステムの開発をやっていたのですが、お客さんへのデモもすべて私がやらされ、新入社員がいきなり部課長クラスのお客さんに商品説明ということで、度胸だけはつきました。

 CAD開発はCADを使う部署に所属していて、オペレーターと開発の仕事は仕事形態が違う、ということで、CAD開発を別の部署に分けて欲しいと主張し、入社3年目に事業部を作りました。当然事業部となればノルマがあり、開発だけではなく販売もやるのですが、プリント基板業界はとにかく閉鎖的で他のシステムとの連携をお客さんは望むのに、データフォーマットも公開されておらず、販売も非常に難しいものでした。営業専門のメンバーがきたりもしたのですが、結局毎年大赤字で、責任者会議では毎週社長と私が討論となり、今思えばあきれるほどの言いあいをしていました。

 腕に自信はあったので、他に移ってもやっていける自信は当時からあったのですが、私がそういう話をすると社長は、「逃げるのか!」と怒り、私も意地になって、見返してやるまでは辞めん!と、続けていました。

 その後、受託開発をやるようになり、会社のボーナスが出来高制なったこともあり、事業部もどんどん黒字を連続し、待遇もメンバーもお客さんも良くなっていき、その経験を著書にすることができたりしました。が、このように就職前後は結構悲惨なものでした。今思えばはるかに楽な人生があったと思います。しかし、楽な道を選んでいたらおそらく本書のような内容は書けなかったと思います。これはこれで今となれば私らしくて良いかな、と考えています。が、他の方にも同じような苦労をしていただくよりは、すんなりいけるところは私の失敗をヒントに通過していただき、その時間をさらにレベルの高いことに使っていただければもっと良いと思っています。そんな思いでこれまでの著書も書いてきましたし、本書には一番そういう思いがたくさん入っています。もっと具体的にその悲惨な経験を聞いてみたいという方がおられましたら、メールでもいただければ喜んで検討いたしますので・・・。

2007.1.29

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from 2007/1/13