出世について

 おかげさまで本書は売れ行きがなかなか好調のようで、増刷が決まったようです。もともとあまり刷っている量が多くないというのもありますが、多くの方に手に取っていただけることは著者として本当にありがたいことです。異論もたくさんあることと思いますが、本書のようなやり方でそれなりにきちんとメシを食っている人もいるということで、どこか一部分でもヒントになるような点があれば幸いです。

 ついでですが、実は2冊前の「C for Linux」が出版社で在庫切れのようです。増刷の検討をいただいております。中古でプレミアが付いたりしていますが、私が都内で書店をうろうろしているとまだまだ棚に並んでいますので。

 プログラマーと一言で表現しても、実際はさまざまな形態があり、またプログラマーをしている当人の趣向も当然千差万別です。規格にのっとり指示通りに作業を進めるのが好きな方もいらっしゃるでしょうし、一匹狼のように独自技術で勝負したい方もいらっしゃるでしょう。本書はどちらかというと自分の技術をアピールし、楽しくやりがいを感じながら仕事をしたい人に向いている内容だと思っています。私自身がそう思っていますので、そういう内容の本になっています。大規模開発ではあまり個性ばかり主張していてもまとまらなくなるでしょうから、本書のような考え方ばかりではうまくいかないと思っています。私自身は儲かるかどうかは別にして、そういう仕事より自分が少しでも輝ける仕事が好きです。どうせ苦労してプログラムを作るなら、技術的に興味があり、仕事の形態としても私の技術・仕事の仕方に任せてくれるような仕事にやりがいを感じます。そういうやり方に共感いただける場合は本書で役に立つ内容があると思いますし、そうでないと得るところがない、ということになるでしょう。まだどういうやり方が自分にあっているかわからない方は本書で紹介していることがすべてと思わず、大規模開発でやっているような仕事の進め方も知ってから考えた方が良いです。幸い、そういう話題はIT関連の雑誌などで豊富に登場します。いずれにしても自分の人生は自分で決めて進んでいかなければなりません。その一つの実例として役立てていただければと思います。

<出世について>

 さて、毎回前置きが長いですが、今回は出世について、というタイトルにしましたが、どうやって偉くなるか、ということではなく、就職してからどのような経験を積んで今の状態になったか、ということを思いつくままに書いてみようと思っています。

 前回書きましたように、就職後、プリント基板設計CADシステムの開発・販売を担当し、入社後3年で事業部を設立しました。事業部といっても設立時点では3名で、私が一番年上でしたので、責任者がいないのも変だから、と、自分で社長(現会長)に、課長と名刺に書きますから、と宣言し、平社員から一気に名刺の上では課長になりました。社内での扱いは平社員でしたが。CAD開発をしながら、CAD販売の営業もやりました。お客さんと商談になった際に、取引条件の話になり、そもそも取引条件って何?という感じでしたから、あわてて経理担当を呼びに行き、課長という名刺を出しながら恥ずかしい思いをしました。会社間の取引というのがどういう契約が必要で、どういう手続きが必要なのかなど、本当に毎回行き当たりばったりで覚えていきました。出世するのも楽でないな、と思ったものです。もっとも、普通はそのような立場に応じて必要な教育は受けさせられるのでしょうけれど。

 何セットかは販売できましたが、もともと社内向けのシステムでしたので、さまざまなお客さんの要望が出てきて、とても従来使っていたバージョンでは機能拡張できるようなレベルではなく、全く新しいCADシステムを開発していました。開発していましたので当然売れず、もともと使っていたバージョンはもちろん提供できたのですが、お客さんとしては当然新しいものができたら、ということになり、事業部の成績はひどいものでした。わずかに開発中のエンジン部分を使って特注品のCADシステムを作って欲しいという依頼を受けた仕事以外はほとんど売れていませんでした。途中、やり手の営業経験者を社長が採用し、部長として動いていましたが、どれだけやり手でも開発中のものは売れません。結局毎週の責任者会議では社長と大喧嘩となり、売り上げも無いので待遇も当然悪く、部員も徐々に減り、最後は私と新人二人だけになりました。

 会社自体もあまり良い状況ではなく、他の部署からは、「こっちは日銭を稼いでいるんだ!」と文句を言われたり、まさに四面楚歌状態でした。そんなあるとき社長から「出向に行ってもらう」という話があり、私ともう一人で面接に行ったのですが、私がしゃべりすぎて、結局私だけ採用となり、某大手開発会社に常駐しました。他のメンバーも随時派遣に行き、とりあえず少しは稼げという感じで仕事をしていました。私の出向先での仕事はC言語での開発だったのですが、日ごろ行っていたCAD開発に比べるとあまりにも簡単な内容ばかりで、初日で1週間分の仕事を終わらせてしまい、後は適当に時間をつぶしていてくれ、と言われ、その割に終電近くまでつき合わされ、ばかばかしい仕事だと思ってました。1週間くらい常駐していると、社長から電話があり、「様子はどうだ?」と聞かれましたので、「簡単な仕事ばかりで暇です。」と答えたところ、「では社内で忙しい仕事が出てきたので戻ってきてくれ。」と言われ、出向は1週間で打ち切りとなりました。もちろん契約上もめましたが。最後の日に派遣元の方と飲みに行き、「君なら年収700万円はすぐに行くと思うが、うちにこないか?」と言われましたが、こんなつまらない仕事ではいくらもらっても嫌だ、と断りました。

 その後、ネットワーク管理の常駐にも行きました。客先に行く前に数週間、派遣元のトレーニングがあり、かなり優秀な方に教わったのですが、散々馬鹿にされた気分を味わい、実はそのときの悔しさがベースになってネットワークにこれだけこだわってきたのですが、その割に常駐先では単に欠かさずいるだけで、たまにログをチェックしたり、仲介をするくらいの、実につまらない仕事でした。

 請負の仕事もいくつか小さいものを社長が受注してきてやりましたが、いずれも今考えるといい加減な仕事で、仕様も契約も適当で、当然毎回最後には揉め事になるのでした。

 そんなひどい状況を変えるきっかけになったのが、今でもお世話になっている東海ソフトさんとの出会いです。たまたま他の部の部長の知り合いの知り合いが東海ソフトの方で、ソフト開発で困っていると言うことで紹介していただき、お声をかけていただきました。その時点で使われているすべてのOSで同じクライアント機能を開発すると言う仕事を東海さんが受注していて、Windows、Mac、Solaris、AIX、HP-UX、NeXTなど数多くのOSで全く同じ機能のクライアントソフトを開発する仕事でした。今ならWEBにすれば一発ですが、当時はまだS/C形式しかありませんので、個々にアプリを作らねばなりません。UNIX系の開発経験がある会社がなかなかないということで、私のところはCADシステムをUNIXで作っていましたので是非担当して欲しいということになりました。普通の受託開発は初めてでしたから、仕様書やテスト工程などさっぱりわからず、丁寧に東海ソフトの方に教えていただきましたが、開発自体はCADに比べれば簡単なもので、品質も性能も高いものを、かなり納期より前倒しで提供し、東海ソフトさんや元請けさんにお礼を言われました。技術が身を助けたのです。

 そのプロジェクトの後は実はCADの特注品の依頼対応などが忙しく、1年くらい東海ソフトさんとお付き合いが途絶えていたのですが、たまたま年賀状をさし上げたところお電話いただき、仕事ができる余裕があるなら是非お願いしたい、ということでお呼びがかかり、大手さんの仕事をいろいろとやらせていただきました。その際にお付き合いを開始した東海ソフトの課長さん(現次長さん)には公私共に非常にお世話になり、さまざまな情報をいただいたり、いろいろな仕事を経験させていただきました。今でも親しくお付き合いさせていただいております。その方が私のところを信頼していろいろな仕事を回してくださったおかげで今の状態があると言うことは間違いないでしょう。

 ちょうどその頃、会社の方針変更があり、ボーナスを出来高制にすることになり、東海ソフトさんの仕事とCADの特注の仕事で平均人月180万円の成績をたたき出し、これまでのマイナスがあるから他の部署に半分以上分配したものの、ようやくまともなボーナスをもらい、付いてきてくれたメンバーや、自分の親にもようやく胸を張って仕事の話ができるようになりました。

 東海ソフトさんの元で数多くの仕事を経験してきましたが、いくつかのお客さんと東海ソフトさんの方針が合わず、私はあまりポリシーも無かったので、そういうお客さんと直接お付き合いをさせていただいたりして、徐々にお客さんの幅が広がりました。東海ソフトさんの元で仕事をしているときでも私はリスキーな仕事にどんどん首を突っ込みましたので、東海ソフトさんが「元請け責任を負いきれないから直接どうぞ」というケースもありました。そうやって良いお客さんが徐々に増えていきました。もちろんメンバーが非常に良い仕事をし続けたのが大切なポイントですが、なかなかお付き合いのきっかけが作れない大手さんとのお付き合いはそうやってできていったのです。

 その後も順調に黒字を続け、他の部の事も考えるようにと、統括部長を任命され、さらに先日、もっと本気で会社全体のことを考えるように、という感じで、社長の任命を受けました。何回か赤字になったこともありましたが、理由は明確で、人がもっといないか?というお客さんの要望にこたえようと、新卒を甘い基準で取りすぎた後にオフショア開発などにより、規模だけが必要な仕事は海外に出たりして、量より質だ、と言うことになって、あまり腕の無いメンバーの分でマイナスになった際だけです。求人も最近ようやく優秀な学生さんの方から会社に興味があると言う問い合わせを受けるようになり、少しずつですが、さまざまなアピールが実を結んできているのかと感じています。メンバーも本当に自慢できるメンバーに恵まれ、まだまだこれからもいろいろあると思いますが、このメンバーとなら発展していけると確信しています。普段は会話もあまり無く、やり取りもメールが中心で静まり返った部屋ですが、飲みに行くと一気に盛り上がり、皆でダーツを楽しんだりと、メリハリのあるメンバーたちです。皆それぞれこだわっていることがあり、好きなこともある程度できているので、生き生きしていて、それが仕事でも良い効果を発揮して、お客さんにも評価していただけているのだと思っています。うつ病などが問題になっていますが、まずは良い仕事を続けられているかどうかが大切だと思います。仕事が順調であれば家庭でも機嫌が良いでしょうし、人付き合いも、経済的にも余裕ができます。プログラマーの仕事は私自身はとても楽しくやりがいのある仕事だと思っています。そんな思いを本にしたのが本書です。

2007.1.30

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from 2007/1/13